日本空手道松濤會
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空手道二十訓
空手道二十訓
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一. 空手道は礼に始まり礼に終ることを忘るな
一. 空手に先手なし
一. 空手は義のたすけ
一. 先づ自己を知れ而して他を知れ
一. 技術より心術
一. 心は放たん事を要す
一. 禍は懈怠に生ず
一. 道場のみの空手と思ふな
一. 空手の修業は一生である
一. 凡ゆるものを空手化せよ其処に妙味あり
一. 空手は湯の如し絶えず熱度を与えざれば元の水に還る
一. 勝つ考は持つな負けぬ考は必要
一. 敵に因って轉化せよ
一. 戦は虚実の操縦如何に在り
一. 人の手足を剣と思へ
一. 男子門を出づれば百万の敵あり
一. 構は初心者に後は自然体
一. 形は正しく実戦は別物
一. 力の強弱体の伸縮技の緩急を忘るな
一. 常に思念工夫せよ


空手道二十訓について
「英文版 空手道二十訓」後書転載

高木丈太郎(日本空手道松濤会理事長・本部道場松濤館館長)


高木丈太郎(日本空手道松濤会理事長・本部道場松濤館館長)
高木丈太郎
The Twenty Guiding Principles KARATE
「The Twenty Guiding
Principles KARATE」
「空手は、勝つための技である」
「空手を学ぶのは、強くなるためである」
ーーひょっとしてあなたは、そう思っていないだろうか。実のところ、そう思いこんでいる人が、空手実習者の中にも少なくない。
 意外に思われるかもしれないが、船越義珍先師は、それはまったくの誤解であることを、本書を通じて解説する。空手とは断じて、闘争において勝ちを収めるだけの技術ではない。空手とは究極の武術でありながら、とりもなおさず、万人のための“精神修養の道”なのである。

船越義珍先師は、「近代空手道の父」と言われる。沖縄尚武会の代表であった先師は、1922年5月、文部省主催の第1回古武道体育展覧会に招かれ、沖縄(琉球)独特の体技「琉球拳法・唐手術」を初めて本土で公開した。その演武を見学していた、嘉納治五郎先生(柔道の父)、中山博道(はくどう)先生(後に剣聖と謳われた)などの薦めもあって、東京に留まり、空手の普及に努めるようになる。
 
各大学や警視庁などで指導を続け、それまでまったく知られていなかった、この武術を広く知らしめる傍ら、船越先師は、鎌倉円覚寺の慧訓管長のもとで参禅をする。修行の末、1929年頃に、沖縄にて元来、「手」(て)もしくは「唐手(とうで)」と呼ばれていた、その「唐手(からて)」の文字を「空手」に変更し、かつまた「空手術」を「空手道」に変更をした。
そこに用いられた「空」(くう)の文字は、「徒手空拳にして身を守り敵を防ぐ」武道の心を象徴すると共に、「色即是空、空即是色」の思想に拠ったものである(自叙伝「空手道一路」より)。「西遊記」の三蔵法師のモデルとしても有名な中国僧・玄奘が漢訳した「般若心経」は仏教のエッセンスといわれるが、「色即是空、空即是色」の思想は、その根幹をなすものだ。

武具を持つことが禁止されていた沖縄で、武士のあいだに秘かに伝えられ研鑽されてきた、護身術かつ必殺技である唐手術は、この時点で、精神修養の道にまで高められたのである。
「空手道二十訓」はそれから数年後に、空手道を学ぶ者の心得、言い換えれば、空手道修業者の人生訓として完成したものである。

1939年1月、その空手道を実践する道場として、東京の目白・雑司ヶ谷に日本初の空手道場、大日本空手道松濤館が誕生した。「松濤」とは、海に囲まれた故郷の地の松林を折りあるごとに散策し、松籟をこよなく愛した船越先生の雅号に由来している。



「空手道二十訓」の第1条は、「空手道は礼に始まり、礼に終わることを忘るな」である。それはもちろん、空手の稽古がお辞儀に始まり、お辞儀に終わるべきことも意味している。だが、ここで言わんとしていることは、空手を学ぶ者は君子であるべきであり、道場を離れても、周囲の人に対してきちんと心のこもった挨拶をすることはもちろん、行住坐臥、礼に始まり、礼に終わるものだ、そして人生のすべてが礼に基づくべきだ、ということである。しかも、空手の修業を続けているうちに、おのずと、空手即礼の生活になっていくものなのである。

船越先師の高弟、廣西元信師範(1913〜1999)は礼について、「礼とは形、フォームであり、形から始まり、形に終わることを最も典型的に表現しているのが空手道である。形は心を内包しているものだ。」と解説していた。

私は大学生のとき、空手部に入部し、この道に入ったわけだが、厳しく言われたのは、「決して喧嘩をしてはいけない。たとえいかなる理由があろうとも、喧嘩をした者は即、破門だ」という言葉だった。もちろん勝ち負けは問わない。船越先師は、空手が喧嘩などに悪用されたら、それは「邪拳」である、とことあるごとにおっしゃっていた。争う気持ちがあると、拳は邪拳になる、というのである。

「二十訓」の中で最も有名なのが、一般の人の間にも浸透している言葉「空手に先手なし」(第2条)である。「空手は受けから始まる」という言葉も、同じ内容である。この意味するところは、決して後手に回る、ということではない。「いついかなる場合でも先手の攻撃はないけれど、心構え自体は常に先手先手といかなければならないと思う」と船越先師は述べられている(「空手道一路」)。
 さらに、この言葉を突き詰めれば、「自分もなく、相手もいない」「自他一如」「相手と同化し、相手を包み込む」ということになる。般若心経の「色即是空、空即是色」の言葉は、空手においては、このように解釈できる。

とはいえ、「相手と同化し、相手を包み込む」ということを取り違えて、稽古が馴れ合いになってしまう人も、ないことはない。人望があって、そして稽古の積み重ねを通じてこそ、相手と仲良くなれるのであって、ただの仲良しの関係でいいのならば、空手を修業する必要はないだろう。
 第3条にいう。「空手は義の輔(たす)け」と。大義と、勇猛果敢の精神を喪失したならば、それは空手道ではない。

第12条に言う。「勝つ考えは持つな、負けぬ考えは必要」と。これは、勝ち負けに囚われてはいけないけれど、決して負けない心得をもつということだ。そして、勝とうと思って相手を打ち破るようなことはないけれど、武術で鍛えられた裏付けがあるから、負けるようなことはない。これぞまさに“空”の境地であり、武道の極意なのである。



私は船越先師の晩年の弟子にあたる。大学を卒業したばかりの時だが、大学の講堂で、空手部の10周年記念式典があった。すでに80歳を越えられていた先師だが、その日も、足腰を鍛えるための朴歯(ほうば)の下駄を履いて、会場に来られた。そして、ゆったりと、のびやかに、観空の演武をされたものである。式後の納会で、先生に呼ばれて、お話を伺っていると、先師は「道の角を曲がるときは、大回りにしなさい」と言われた。「何が潜んでるか、わからんでしょ。だから大回りをしなさい」と。
 いつまでも、驚くほど腕力が強い、空手の達人による、意外なほど平凡な言葉。だが、それが私の一番感銘を受けた言葉である。

おそらく当時、沖縄の夜道には電灯もなく、辺り一面真っ暗闇で、どんな危険が待ちかまえているかわからないという、先師の実体験から生まれた言葉であろうが、私はそこに、闘いや危険を未然に防ぐ、空手の達人の心がけを知ったのである。
そう、第16条には「男子門を出づれば百万の敵あり」と記されている。

第18条には、「形(かたち)は正しく、実戦は別物」とある。昇段試験の審査で形をほんのわずかでも間違えた者に対し、船越先師は絶対に昇段を認めなかった。「間違うようではダメです」と。「間違えても実力はあるじゃないですか」という反論にけっして耳を傾けることはなかった。

私の空手修行も60年を迎える。倦まず弛まず、長い間、同じ稽古を繰り返してきたわけだが、最近になって、いろいろな発見をするようになった。型には、いろいろな隠れているものがある。それは誰も教えてくれない。だが、無心で、正しく反復練習を続けているうちに、「ああ、これだ!」「ああ、こういうことだったのか!」、そしてあるときには「ああ、これまでは間違っていたな!」という発見が生まれてくる。表に伝えられてきた型の奥に、熟練者のみが知ることのできる、実戦的な深い世界が潜んでいたのである。

日本武道の奥義として伝えられてきた秘伝の巻物の絵や文を見ても、ふつうの人には何もわからない。ところが、長年熱心に稽古を続けている人物ならば、ある日突然、霧が晴れ、抜けるような青空が現れるように、秘伝の奥義がわかる日があるものなのである。



「空手は一切武術の根本である」と船越先師は、「空手道教範」の中で述べられている。空手は武術の基本であり、例えば拳の代わりに、手に剣を持てば剣術になるし、棒をもてば棒術に、槍をもてば槍術になる。実際、船越先師の恩師の安里安恒先生は、示現流の剣の達人でもあり、数々のエピソードを残している。また、剛柔流空手の祖、宮城長順先生もすぐれた剣の使い手だったと聞く。
第15条には「人の手足を剣と思へ」とある。これは、“触れれば斬れる”ほどの空手の達人であった安里先生がよく口にされていた言葉だという。

その考えに基づいて、私は、剣術の柳生新陰流を学んできた。ほぼ15年になる。柳生新陰流とは、江戸時代、代々、将軍家の後流儀とされてきた剣術の流派である。(江戸柳生の祖、柳生宗矩の著した「兵法家伝書」は有名である)。素手で相手の剣を奪ったり、剣をもって攻めてくる相手を素手で制したりする「無刀取り」で名高い。
興味深いことに、船越先生の気合いは「ほーい−っ」という長いものであった。「えいっ」「やあっ」という短く切れたものではない。じつは、この気合いで突けば、すぐに身を転換できる。
これは、柳生新陰流でも、宮本武蔵の二天一流でも同様で、打ち込みのとき、「ほーい−っ」という長い気合いをかける。古武道では、ひとしく、こうした気合いである。激しい、荒々しい呼吸でなく、穏やかな細くて長い呼吸、そして残心が重要であることが、ここから窺い知れる。

船越先師の高弟、江上茂師範(1912-1981)によると、船越先師は「自然に逆らわず」という言葉をよく口にされていたという。第17条に「構えは初心者に、後は、自然体」とある。
この自然体というのは、なかなか理解が容易ではないようだが、つまるところ、初心者の域を越えた修行者ならば、普通の態度こそが大切である、ということだ。心は構えて、体は構えない。何が来るかわからないから、心は十二分に神経を張り巡らしているけれども、形は無構えである。

柳生新陰流でも同じことが言われている。なんの構えも見せずに、相手が動き出すのを待っているが、相手が攻めにかかるのを見て取るやいなや、すかさず一歩引いて下がって、相手より一瞬早く体(たい)を入れて、左袖(左手)を前にして斬り込み、相手を一刀両断する。これぞ柳生新陰流の剣の極意なのだ。



第13条に「敵に因って転化せよ」、そして第20条には「常に思念工夫せよ」とある。この言葉から思い出すのは、船越義珍先師の三男で、師範代として情熱的に指導してくださった、義豪(よしたか)先生(1906-1945)のことである。私たち門弟は、「若先生、若先生」と慕っていた。
 実に研究熱心で、今では空手において、まったく当たり前に行われている「回し蹴り」「横蹴り」の大元を発明されたのは、義豪先生であった。また、「大極(たいきょく)の型」や、組手「天之形」、そして棒術の型「松風」を創出したのも義豪先生であった。先生は、敵によって転化できる空手を、常に模索し、工夫されていたのである。

第11条には、「空手は湯の如し、絶えず熱度を与えざれば元の水に還へる」とある。常に稽古を怠らないように、ということだ。大学生の頃、熱心に稽古を続けていたにもかかわらず、社会人になると仕事に追われて、空手から離れてしまう人を散見する。私自身にしても、壮年の折り、仕事で忙しいあまり、ほとんど稽古をすることができなかった数年間がある。今思うと、あの頃、どんなに忙しくとも、時間はわずかでもいい、もっと熱心に稽古を続けておけばよかった、と後悔している。
そのため、そうした年代の人たちには、「いくら苦しくても、稽古をやっておかなくては駄目だよ」と言って聞かせている。一日たとえ数分でもいい。空手を続けようという心がけさえあれば、どんな環境にあっても、自分なりの稽古はできるものなのだ。
第8条に言う。「道場のみの空手と思うな」と。

1950年頃 高木館長の蹴上げ
1950年頃 高木館長の蹴上げ
船越先師の持論は「空手とは、精神修養の道であると共に、誰にでもできる、体力がなくとも長く続けられる体育であり、健康法であり、護身術である」というものだった。
空手道とは、けっして、筋力、体力の優れた人たちのための武術ではない。真の空手道とはまさに、あらゆる年代の、世界中のさまざまな現代人が求め、必要としているものなのである。
ただし精神修養といっても、それは決して、しかつめらしい求道者になるべきだということではない。実際、船越先師は、たいそう洒脱なお人柄だった。

「空手道の実習者ならば、仕事や学業などでいかに忙しくても、自分のやれる範囲内で、自然体を保って、無理なくいつまでも、空手道の精進を続けてほい。」ーーもし先師がご存命ならば、きっと、微笑を浮かべて、穏やかに、そう言われるに違いない。第9条に、「空手の修業は一生である」と記されている通りである。

空手のみならず、武道全般に、そして人生すべてに通じる、珠玉の20の教え、それが本書「空手道二十訓」なのである。


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