日本空手道松濤會
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先生の紹介

  1. 船越義珍先生
  2. 船越義豪先生
  3. 船越義英先生
  4. 江上 茂先生
  5. 廣西元信先生
  6. 植村常次郎(和堂)先生
  7. 林義明先生
  8. 戸川幸夫先生
  9. 下田武先生
  10. 望月秀二先生
  11. 小杉国太郎(放菴)先生
  12. 柳澤基弘先生
  13. 水上八郎先生

5. 廣西元信先生〔1913年〜1999年〕

廣西元信先生の写真
廣西元信先生
戦前、空手を日本の独立した武道として確立させ、又、終戦の年、連合国軍総司令部の通達に軍国主義に加担した武道は禁止するというものがあり、空手も関連して禁止される恐れがあった時に、先生は孤軍奮闘し空手を大学体育として存続できるようにした。

これらの事は、今日の空手道発展の礎になるものであり、先生は日本空手道の中興の祖と言われている。

戦時中(1943年)、厚生省が発令した『戦時学校体育要綱』なるものに、「空手は柔道と合わせて行うことを得」という条項があった。

先生は若年ながら松濤會を代表して、「空手」を独立した日本の武道として認めさせるべく、柔道界の工藤一三氏と論争した。その結果、大学空手部は今まで通り、空手部として練習してよい、ということになった。

但し、『要項』として発表された以上、これを改変することは不可能であり、形式的な表現としては、柔道と合わせ行う、ということでも、実質的には、今まで通り、別の練習場で、別の時間に、別の先生の指導下で練習してよい、ということになったのである。

実質的に「空手」は独立した日本の武道として認定されたのである。

騎馬立ち腕当 騎馬立ち腕当
騎馬立ち腕当 昭和11年 江上先生と廣西先生の組手

鉄下駄を使った蹴りの稽古
鉄下駄を使った蹴りの稽古
戦後、連合国軍総司令部の通達に、「柔道、剣道」など、軍国主義に加担した武道は禁止するという条項があり、空手も関連して、禁止される恐れがあった。

先生は、戦争中、大日本武徳会に参加していなかったのは空手界の代表松濤會だけであった事、既に、「空手」は独立した武道である事などを、文部省行政官に説くと同時に、早稲田大学の大浜信泉先生の協力を得て、大浜体育局長の名で、〈スポーツ王国としての早稲田大学では空手部を禁止する意向はない…〉と新聞発表をした。

これによって、文部省当局も認める形で、「空手」は、戦後いち早く大学の場で練習できるようになったのである。

又、先生は船越義珍先生逝去後、会長を継承した船越義英先生を補佐し、義英先生逝去後は理事長として松濤會存続発展に貢献した。

義珍先生の遺志である、空手道場松濤館再建を江上茂先生と協力して1976年に、東京都港区芝浦に日本空手道松濤會本部道場松濤館として再建した。

1995年理事長・館長を高木丈太郎理事に託して、松濤會会長として高所大所から日本空手道の発展に意を注がれた。

スペインでの指導稽古(1983年)



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